第5回目は、FM沖縄です。沖縄の放送局はQABを除き、沖縄戦・アメリカ統治時代などの影響で数奇な歴史を辿ってきたところが多く、ここも米国法人による宗教放送局→民間AM局→FM局と、時には政治問題にもなったことがある波乱の歴史をもつ放送局です。
放送概要-本局(局舎は那覇ではなく、浦添市にある。後述)のみ)
エフエム沖縄(JOIU-FM)87.3MHz
(FM沖縄沿革)
1958年 全世界規模で宗教放送を行っている米国法人「極東放送(FEBC)」沖縄放送局として英語放送(中波AM)開始(一部日本語、コールサイン:KSAB)
1959年 日本語放送(中波AM)開始(コールサインKSDX)
1961年 中国語放送(中波AM)開始(コールサインKSBU)、大陸向けに送信出力は100kwで放送(これは在京AMのTBSラジオ、文化放送、ニッポン放送と同じ)
1972年 日本復帰に伴い、中国語放送廃止。特別法(*)により、英語放送は米国法人のまま5年間の継続、日本語放送については、日本法人設立までの仮放送を1年間をそれぞれ認める。英語放送はコールサインJOFF、日本語放送はJOTFに変更
*「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」
12月、日本法人「財団法人極東放送(日本語放送)」設立
1977年 英語放送廃止
1978年 極東放送、財団法人から株式会社に移行
11月、周波数変更(1251KHz)
1984年 中波AM局である極東放送廃止。廃止と同時にFM放送局であるエフエム沖縄放送開始
1995年 放送時間が24時間となる
2001年 現社屋が旧社屋の隣に完成
放送局の建物は、極東放送の時代から那覇ではなく、隣の浦添市小湾にあります。そばには広大な敷地を持つ米軍のキャンプキンザーがあり、あたりには独特の雰囲気があります。
沖縄が日本に復帰する際、当時宗教放送局であった極東放送の存続について、日本の国会でも大きな議論になりました(日本の法律では、宗教放送局の設置は認められていない)。またその過程で、同局と米軍心理作戦部隊との関係も取りざたされました。かつてTBS「ニューズコープ」のキャスターであり、後年は参議院議員も務めた田英夫(でん・ひでお)氏の著作「真実とはなにか」では、両者の関係の端緒を電話帳から発見したエピソードが載っていました(米軍の電話帳にある心理作戦部隊の電話番号と、極東放送の代表番号が同じだった)。結局、上の沿革にもあるとおり、中国語放送は廃止、残りの放送言語については条件付きで存続、という「政治的決着」がはかられました。
1978年から廃止まで、1251KHzで放送されていましたが、東京(関東)では、ニッポン放送(1242KHz)の一つ上の周波数(AM放送は9KHz間隔)になります。受信については、かつて同じ周波数にソ連のモスクワ放送(国名・局名は当時)が、ウラジオストクから日本に送信アンテナを向けて、1500kwという大電力で放送していましたので、遠距離でかつ小電力の極東放送は東京では受信不可能の「幻の放送局」でした。まあ受信困難という点では、同局に限らずRBCやROKも同じでしたが・・・(ROKについては1度だけ、夜中の3時の放送終了アナウンスを辛うじて東京で聞けたことがあった)。
結局、AM放送は廃止となり、私にとっては本当に「幻」となってしまいました。
これは南風原町にあるFM沖縄送信所。沖縄県立開邦高校(進学校らしい)近くにあります。が、公園墓地の中にあり、周りはお墓だらけです。
これは前回のROKと同じ時期に、FM沖縄に受信報告を送った際に入手した受信証。「いつも心は南向き」のキャッチフレーズはかなり前から使われています。モデルのお姉さんはスタイルもいいですが、可愛いっすねぇ。しかし、約20年前の受信証だから、この人は今はもういい御歳になってるんだろうなあ・・・なんて言ってはいけません(笑)。
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